*

高野山を開いた空海とは?簡単にまとめてみました

公開日: : 最終更新日:2015/03/12 社会

「神童」と呼ばれた空海
 空海が生まれた家系は差伯氏という豪族で、学者の家柄でした。生まれ故郷の讃岐(現在の香川県)の役人を育てる学校で優秀な成績をおさめた空海は「神童」と呼ばれました。空海が望んだのかさらに上の大学へ進学するために都奈良へ行きました。苦心して入った(豪族とはいえ普通に入学を認められる身分ではなかったのです)大学でしたが、空海は満足できず、わずか1年でやめてしまいました。

空白の7年間
 大学を飛び出してから30歳になるまでの7年間、空海がどこで何をしていたのか具体的にはわかりません。おそらく四国の各地で修行をしていたのだろう、というのがもとになり現在の「四国八十八箇所」が出来ました。この修行中に、「虚空蔵求聞持法」(こくうぞうぐもんじほう)を会得し、悟りを得ました(ここでは「悟りとは何か」という問題はおいておきます)。

遣唐使で唐へ留学
 遣唐使は、894年に菅原道真が廃止するまで唐に出向した使節団です。ちなみに「はくし(白紙)に戻す遣唐使」と覚えれば覚えやすいでしょう。
 空海は唐で、密教の正当な継承者である恵果(けいか)に出会います。恵果は初対面の空海を自分の後継者に抜擢します。すでに大勢の弟子を抱えているにも関わらず会ったばかりの空海を選んだのですから、空海という人物のすごさと、それを見抜く恵果という人物の眼力に驚きます。
 
帰国後の空海
 空海は帰国後、高野山に金剛峰寺を開いたり、四国の満濃池の修復をしたり、京都の東寺で僧を育成するなど、超人的とも言える活動をしました。
 空海がこれらの仕事を成し遂げることができたのはその「人柄」にあります。空海は大勢の人間の先頭に立って指揮をとっていたのですが、反乱や反発は一切なかったと言われています。あらゆることがスムーズにいったことによりこれだけの仕事量をこなせたのでしょう。それは、空海がすべての人を味方にすることができたからでした。
 誰でも、一人や二人は「この人とは仕事がしにくい」という人がいるでしょう。そして、そういった気持ちが仕事に悪影響を与えることは予想できます。空海にはそれがなかったのです。それは、たまたま空海がいい人たちに囲まれていた、ということではありません。空海自身が人格者だった、ということなのです。

 これだけで空海の魅力やすごさを伝えることはできませんが、「こんなすごい人が日本にいた」と思える人物の一人です。
 

Sponsored Link

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

10代との会話に役立つ知識 高橋一生

好きな芸能人の話は定番ですね。 キムタク?福山雅治? そうです

10代との会話に役立つ知識 BL

これは、一部の・・・ということでしょうか。 10代の娘さんを持つお父

10代との会話に役立つ知識 ホームアローン

【送料無料!!】【アイガー】3種類から選べるニュージーランドアイスクリ

10代との会話に役立つ知識 ワンチャン

10代の女の子と話していてときどき聞こえる ワンチャン と

面白く素敵なグループ紹介 手コキ研究所とは?

私は、とある性教育普及団体の正会員をやっていますが、 そこで出会った

→もっと見る

PAGE TOP ↑