*

「絶歌」を養育論から語る 少年Aにとっておばあちゃんの存在とは何だったのか?

公開日: : 福祉・教育

「絶歌を読んで」という講演会に参加をしました


足成ひまわり

「絶歌」について多くの批判があることはその講演者ももちろん知っています。それを承知のうえで、「養育論」という視点でもって少年Aや「絶歌」について語ってくれました。

「養育論」というのは、彼がどうやって生きていくのか?という視点です。


Sponsored Link


彼にとって書くということ


「彼がどうやって生きていくのか?」という視点からすると、「書く」という行為は彼にとって唯一ともいえる「表出」の方法。だから日本社会には彼に「書く」という行為を認めてほしい、それが結論のひとつでした。

彼は「対象」を獲得することができませんでした。「対象」という言葉の意味を簡単に定義すると、あなたが愛着を感じる存在、です。それは子どもの頃は親であったり、少年や青年になると同世代の女性であったりするわけですが、少年Aは今でもその「対象」を獲得することができないでいるのです。

そんな彼から「書く」という行為を社会が奪ってしまったら・・・。



「病気」で免責をしようとしている


足成すすき

私は「絶歌」は読んでいません。ですから内容は知らないのですが、「少年Aは両親のことをかばっている」そうです。

彼が幼少の頃に親から虐待を受けていたことは周知の事実ですが、「事件」の原因は「病気」であると述べ彼はむしろ両親に「迷惑をかけて申し訳ない」と謝罪をしているのです。

これはその講演者が「解体」をした部分。彼は親からの虐待の事実を無意識に避けてしまった。それを避けるために「病気」を持ち出し自分や親を免責しようとしてしまったのです。



おばあちゃんの存在は?


足成睡蓮

それは児童福祉などの「養育」関係者向けの講演会でした。その世界では「養育者」とはどのような存在なのかある程度答えは出ています。

それは「寄る辺」であること。言いかえると、子どもを受け止める存在、です。「虐待」というのはそれとは真逆の行為といえるでしょう。

彼は、大好きだった「おばあちゃんの死」が引き金となってあのような事件を起こしてしまった、そのように記述しています。

ところが「養育論」に照らし合わせてみると、もし「おばあちゃんの存在」が少年Aにとって「寄る辺」であるならあのような事件は起きるはずがない、そういうことになってしまうのです。

講演者が調べ考察をした結果、おばあちゃんは少年Aにとって「寄る辺」ではなく「逃げ場」だったのです。親の「虐待」からの逃げ場。確かにそこは「安心できる場」であったでしょうが、それは「虐待を受けなくてすむ」という安心感です。

「寄る辺」とは、赤ちゃんがあなたに体のすべてを預けてくる、そのようなものです。

さて、今度は少年Aが「絶歌」で得た印税4千万について書きたいと思います。

Sponsored Link

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ネタバレ!記憶第一話 小林隆さんといえば・・・

主人公は、中井貴一さん演じる本庄英久。職業は弁護士です。“優秀な”とい

10代との会話に役立つ知識 高橋一生

好きな芸能人の話は定番ですね。 キムタク?福山雅治? そうです

10代との会話に役立つ知識 BL

これは、一部の・・・ということでしょうか。 10代の娘さんを持つお父

10代との会話に役立つ知識 ホームアローン

【送料無料!!】【アイガー】3種類から選べるニュージーランドアイスクリ

10代との会話に役立つ知識 ワンチャン

10代の女の子と話していてときどき聞こえる ワンチャン と

→もっと見る

PAGE TOP ↑