施設虐待はなぜ起きるのか?パブロフの犬から始まった行動主義に疑問?
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社会
福祉施設内虐待

※画像はイメージ図です
福祉の現場に身を置いていると、県からの通達や研修で、「施設内虐待防止」の呼びかけがたびたびあります。
それらの通達で、参考になるものといえば、「過労による職員のストレス」くらいでしょうか。それで、「職員のメンタルヘルスが必要」などの対策がとられることになるわけですが、私は自分なりに考え続けた結果
パブロフの犬
に思いがいたったのです。
優秀な職員とは?

「優秀な福祉職員」とは?
ときかれると、
入居者の立場に立って考えることのできる人
と誰でも答えそうですが、現場に身を置いていて感じるのは、
言うことを聞かせられる人
が、「優秀な職員」なのです。たとえば、こういうことです。
すべての施設において、食事の提供というのはとても大事な仕事です。たとえば、一般家庭ならば、たまたま一食抜いたなどということは当たり前のようにあると思いますが、これが施設で起きたら大変です。
私が働いている施設の基準では問題はないのですが、
入居者が食べるのを拒否する
場合、「食べたくなければ食べなくてもいいです」と割り切ることができない施設もあるはずなのです。
「食事を与えなかった」と、後になって家族からクレームがくることを過剰におそれる場合もあるでしょう。
だから、「食事を食べさせることのできる」のが「優秀な職員」であり、そうでない職員はダメな気分になるのです。とうぜん、そのイライラは入居者に向きます。無理やり口に食べ物を突っ込む、そんな虐待もありましたね。
「パブロフの犬」というのはこんな実験です。
犬にエサを与えるときにベルを鳴らします。犬はエサを見るとヨダレを出します。それを数回繰り返し、今度はエサを出さずにベルを鳴らします。すると、やはり犬はヨダレを出すのです。
つまり、「ベルが鳴る→ヨダレを出す」というまったく因果関係のない現象を、「エサを出す」ということを仲立ちにして可能にしてしまうのです。
ここから「行動主義」や「行動療法」が発達したのです。
私はこれらについては詳しく知りませんが、人から人に何気なく伝わったこの「パブロフの犬」の感覚、それが現場にあるということに私は気が付いたのです。
たとえば、お風呂に入らない人がいたとします(実際にいます)。食事や睡眠と同じで、施設の職員が過敏になる項目のひとつです。つまり、最終的には「問題のある施設」と思われることへの恐怖があるわけですから、
入居者がちゃんとご飯を食べ
お風呂に入り
寝る
ということを、一般家庭よりもはるかに神経質に入居者に求めてしまうのです。
さて、その方法として「パブロフの犬」があるのです。「パブロフの犬」だと思ってやっている職員はひとりもいないと思いますが。
やっていることは単純で
時間を決めて言い続ける
ことです。
20時に入浴をすることが決まっているとします。すると、その時間になったら「お風呂に入るよう」促すのです。それでお風呂に入る。それを繰り返すと、結果として、20時になると職員が促さなくてもお風呂に入るようになる、これが理想なわけです。
こんなことが上手くいくのは、私が経験した中では警察学校くらいです。「促す」のではなく、暴力に近いやり方で(かつてはそんな時期もあったようですが)「させる」のです。しばらくすると、暴力を用いなくても勝手にやるようになる、当たり前といえば当たり前です。
学校生としては、常に「やる」か「暴力」を選択肢として迫られているわけですから。といっても、やっている本人たちは、
条件付けられているわけですから
強制ではなく自主的にやっている、と思い込んでやっているわけです。
つまり、「パブロフの犬」が成功するためには、「絶対にやらせる」ことが不可欠で、そのためには暴力も辞さないわけですから、すでにそこに「虐待」の芽というか、虐待そのものがあるのです。
福祉施設で「虐待」と言われるものが、学校では「体罰」と言われるわけです。