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「九死に一生」の話。御巣鷹山飛行機事故で生存、私の知人の体験談。

公開日: : 社会

 1958年8月12日、18時12分に羽田空港を飛び立った日本航空123便、伊丹空港行きジャンボジェット機は、離陸してまもなくの18時54分に群馬県の御巣鷹山に墜落しました。「上を向いて歩こう」などの名曲で知られている坂本九さんもその事故によりお亡くなりになりました。

 そこには4名の生存者がおり、当時話題となりました。その中のひとりである落合由美さんは客室乗務員でした。その後の手記で、そのときの様子を語りました。落合さんは制服を着ていませんでしたが、乗客から「どうなるんだ」「助かるのか」と不安をぶつけられた客室乗務員たちは、「絶対大丈夫です」と冷静に答え、そのおかげで機内がパニックになることはなかったそうです。 
 
 実は、私の知人で、この4名とは違う「九死に一生」をえた方がいます。その方は、この日本航空123便に乗る予定でした。その当日、出発前に部屋を掃除してから行こう、と思い立ちました。掃除を始めると、気になる箇所が次々と出てきて、なかなか手を止めることができません。
 いよいよ出発しなければいけない時間になりましたが、掃除をやめることができません。結局、離陸の時間になり自動的にキャンセルとなりました。
 ご本人にそのときのことを尋ねると、「『もう行かないと』と頭ではわかっているのだが、体が止まらず掃除をやめることができなかった」とおっしゃっていました。

まとめ
 事故から生存した4名については、人間のすごさ、というのを感じますが、私の知人の話は、不思議な話です。「不思議」という言葉は、「思議できず」つまり「考えることができない」という意味を表しています。
私は、このような不思議な話が大好きで、いろいろと考えてしまいますが、結局はその理由を見つけることはできません(それが、「不思議」という意味です)。みなさんはいかがでしょうか?単なる偶然と思われますか?
 実は、私にも、「九死に一生」をえたエピソードがあります。いきさつは省きますが、私は富士の樹海にいました。季節は冬、ひざくらいまで雪が積もる中で私は一夜を過ごしました。もちろん後にも先にも味わったことことのない寒さです(警備員の仕事をしていたときの冬の夜は同じくらい寒かったですが)。結局、朝まで持ちこたえることができ、私は助かりました。
「若くて体力があったから」と言われることもありますが、寒いとはいえまったくの無風だったので「運がよかった」と私は思っています。
 

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